2012年09月22日

明治三拾七八年?


屋島寺の本堂前に

明治三拾七八年と書かれた大きな水瓶がある


親父も気がつかなかったが

このブログの読者から「なぜ、七八年か調べてほしい」との依頼があり







古くから納経所にいる人たちに聞いた





「七年か八年かはっきりせんかったから二年分書いたんと違うか?」
とか

ちょっと小バカにしたような言い方をされたのでニコニコ
何かを言い返そうと考えてたが・・・・・

納経所で一番賢そうな人が(あくまでも主観である)
あれは日露戦争祝勝を記念して
関係者が寄贈したものです。
日露戦争は明治三拾七年~八年なので七八年としたのです
ついでに言うと、
太平洋戦争でも「兵器や弾」にするための供出が相次いだが
これは、その供出を免れたのです


ほう~これは説得力がある。。。。。。と関心した(満足・マンゾク)



ちなみに重要文化財でもある
「貞応の鐘」も供出を免れたんやなぁワーイ



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Posted by まだ親父  at 09:20│Comments(0)源平の里
 
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