2009年07月15日
五剣山が崩れた

香川大学からの講師により歴史的な事実が次々と(自分の中だけかも…)
明らかにされる
大半の人が五剣山の五の峰は1707年 宝永地震で崩れた
と思っていたし、いるだろう
だが、峰の一部は1689年5月の長雨で崩落していた
そして、五の峰は二つあったのが真相らしく、庵治側と牟礼側に
それぞれ崩れ落ちた
牟礼側では参道を高柳池辺りまで転げ落ちたのでこの辺りを
落合地区と呼ぶそうだ
もっと大昔、1400万年前頃には屋島と五剣山の間(屋島檀の浦)に高い山が
あったというから驚きだ

ただ、南海地震の将来の発生確率が
30年以内 50パーセント
50年以内 80〜90パーセントは他人事ではない
Posted by まだ親父 at 18:59│Comments(0)
│源平の里